2019.10.15更新分

    
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  <関連記事>


    つい最近、林先生のTV番組で、吉永小百合さんがゲスト出演し、素敵な笑顔で話しているのを拝見しました。
    映画で主演として活躍されているのは知っていましたが、最近は映画館とはついつい縁遠くなっていました。
    しかし今回、新聞広告ながら幸運にも、小百合さんの懐かしい写真にお会いできました!
    澤さんもサッカー選手を引退して子育てに専念中かと思いますが、相変わらぬ笑顔が素敵ですね!
    以下の対談記事を読んで、映画「最高の人生とは何か?」を見に行こうと思っています。 Umichan記
     

   吉永小百合×澤穂希が語り合う「最高の人生とは何か?」


2019年10月10日朝日新聞(朝刊)  (全面広告)







    「最高の人生の見つけ方」に主演  吉永小百合
      
         
背中で芝居 夢かなった?
 
2019年10月11日朝日新聞(夕刊)






2018.12.15更新分


      
吉永小百合さん 広島の語り再び
 
         
資料館のガイド 16年ぶりに録音
    
     
2018年11月15日朝日新聞(朝刊)
     





       
ヒロシマの思い 子どもたちへ

          
吉永さん 「大げさではなく」
 
 
2018年11月15日朝日新聞(朝刊)






         
被爆の心伝えたて
         
10代目 館長
    
     
2018年11月15日朝日新聞(朝刊)
    





2018.10.15更新分

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核廃絶もっと大きな声出して
    
          吉永さん、NGOイベントで




    2018年9月25日朝日新聞(朝刊)
  

  
……原爆詩の朗読活動を続けてきた吉永小百合さんは「なだ日本では条約を
  知っている人も少ないような気がする。私たちの力でもうちょっと大きな声を出
  して政府に届け、核兵器のない平和な世界をつくっていくことが大事だ」と語っ
  た。




  
関連ニュース

      
原爆を誇る意識 ノーモア
  「キノコ雲」飾る米の街 被爆者訪問

   2018年7月30日朝日新聞(朝刊)
 
 
 ……キノコ雲をシンボルマークにする地元高校は春休みだった。校長に被爆証言集の英語版を
  手渡した。再び訪ね、生徒らと語り合いたいと願う。「『核は良いもの』という概念を崩していくのは
  途方のないこと。でも、米国にいる人たちと手を組んで頑張っていきたい」
   
森口受さんの訪問けとめ方は様々だ。……
  ……一方、元リッチランド市長のジョン・フォックスさん(90)は守口さんの話に理解を示しつつも、
  「原爆が戦争を終わらせてくれたおかげで私は徴兵を逃れ、命が救われたと思う。米国が日本
  本土に侵攻していれば、日米双方の多くの人が殺されたはずだ」と語った。 
   
  
私見: 一昨年10月に広島の平和記念資料館を見学した時、予想以上に多くの外国人が
      訪れ、熱心に見学していました。オバマ大統領が寄贈した3羽の折鶴は結局見ること
      ができませんでした!

        トランプ大統領を選ぶ米国人が多いのも事実です。上記のような『核兵器肯定論』
      のアメリカ人もいるだろうとは想像できます。しかし、まさか町のあちこちに“キノコ雲
      マーク”が掲示されたり、飲食店のメニューに「マンハッタン計画」だの「アトミック シェ
      フ サラダ」などが提供されたり、高校では“キノコ雲マーク”が体育館のフロアーに描
      かれたり、“キノコ雲Tシャツ”を着た教師が対応する。

       このような光景は私の予想をはるかに超えています。被爆国である日本国や日本
     人が『核兵器否定論(廃絶論)』を厳しく主張し続けなければなりません! 
                                                 Umichan




            核廃絶の願い 10.8万筆

              高校生平和大使、国連に提出


   2018年8月29日朝日新聞(朝刊)
  
                                                
   ……国連では、広島・長崎や東日本大震災の被災地など全国から公募で
   選ばれた高校生20人が、それぞれの核や平和への問題意識を交えて英語
   でスピーチを行い、「世界の一人でも多くの人に被爆者の体験を語ることが
   平和への第一歩」などと思いを伝えた。……






2018.4.15更新分


     
Cinema『北の桜守( さくらもり) 
     
吉永小百合さんインタビュー 


2018年3月2日朝日新聞(朝刊)





          
新しいこと 何歳からでも
  
アクテイブ世代のための文化祭 3千人が来場

           しっかり体力作り 作品に臨む  

                     吉永小百合さん 

 2018年3月20日朝日新聞(朝刊)





2017.12.15更新分





       核廃絶へ「世界を動かす時」

           ICAN平和賞 吉永小百合さん語る

              授賞式「行動呼びかける」 川崎さん 出発前に会見


                      



2016.12.15更新分


 
 

          核なき世界へ願い紡ぐ

                吉永さん・坂本さんコンサート

 2016年12月20日朝日新聞(朝刊)






     平和、今こそ あきらめない

           吉永さんの思い形に チャリイーコンサート

         
福島の学生、奏でた再起

       小学生から大学生まで、約110人が出演

  2016年12月20日朝日新聞(朝刊)





 2016年12月22日朝日新聞(朝刊)
                  
   
  
吉永小百合さんがコンサートで読んだ原爆詩「生ましめんかな」の音声とスライドショーは
  下記のURLで配信されています。

        「核と命を考える」 URL: http://t.asahi.com/bbke


 以下は上記の左側頁です
 






2016.06.15更新分

      
核と人類は共存できない!
     
吉永さん、坂本さんとカナダで朗読会

 
2016年5月5日(朝日新聞(朝刊) 


 
 当日は吉永さん主演の「母と暮らせば」も上映されました。





 2016年5月5日(朝日新聞(朝刊)


 ①100歳になる米国人の宗教家の話
   「広島に原爆が落とされた時、それは、あなたの上にも、わたしの上にも落ちたんだ」って
   いう言い方をされました。国も民族も問わず、みんなの上に落ちたんだと。

「だれが落とした」「だれが加害者だ」っていうことよりも、「とんでもないことが
  起きた」
「とんでもない武器ができて、たくさんの方が何の尊厳もなく消滅してしまった」って
  いうことですよね。
  それを感じて、オバマさんが広島に行ってくださるんだったら、わたしはとてもうれしいことだ
  と思います。
  「加害者」「被害者」ということではなく、未来に向かっての思いとして行ってほしい。

   
                      ……さすが、吉永小百合さんの感想ですね!






2015.06.15更新分


      被爆の本、学生がつむぐ
  
    
坂元龍一さん、吉永小百合さん…52人の思いを編集


 広島大学、長崎大学、福島大学の三つの被爆体験をした県の大学生7人が、坂元龍一さん(音楽家)、
 吉永小百合さん(俳優)、渡辺謙さん(俳優)、三輪明宏さん(歌手)、重松清さん(作家)、益川敏英さん
 (ノーベル物理学賞受賞者)、和合亮一さん(詩人)、白井聡さん(政治学者)など52名の「核なき世界」
 を願うメッセージを集めた「No Nukes ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」が、20日に講談社から刊行
 された。その際、7人の学生たちも編集に取り組んだそうである。
                                  「大事なことは土がおぼえています」





2015.02.15更新分

  
        吉永小百合さん、 福島原発被害者らの詩を朗読 CDに!


  2015年1月28日 朝日新聞(朝刊)

 

              



A.朝日新聞社デジタル版  最終更新:2015年1月28日(水)02時39分
       (注:上記の記事とダブル部分もあります

吉永小百合さんが朗読 原発被災者らの詩をCDに

    核と人類取材センター・副島英樹

           
     朗読をレコーディングする吉永小百合さん=16日、ビクター提供



          
                                    表紙 富岡の景色

 爆投下と終戦の年に生まれ、広島・長崎の原爆詩の朗読を続けてきた俳優の吉永小百合さん
(69)が福島第一
原発事故の被災者らの詩を朗読し、CDに収録した。「第二楽章 福島への
思い」
と題し、
東日本大震災から4年になる3月11日に発売される。吉永さんは「今も故郷に
戻れない福島の方たちの思いを私たちみんなで受け止め、寄り添えれば」
と願っている。

 吉永さんは1986年、戦争や原爆の過ちを二度と起こさないために原爆詩の朗読活動を始め、
97年に「第二楽章」(広島編)、99年に「第二楽章 長崎から」のCDを出した。2006年
には「第二楽章 沖縄から」も作製。「第二楽章」の名には「戦後50年を経た今は第一楽章では
なく第二楽章。声高ではなく、柔らかい口調で語り継いでいきたい」との思いがこもる。




 特集:核といのちを考える

 3・11以降は、福島での被災後にツイッターで発信し続けた和合亮一さんや福島県富岡町
追われた佐藤紫華子(しげこ)さんらの詩も朗読。広島と長崎、沖縄、そして福島で起きたことを
「忘れない、風化させない、なかったことにしない」とする吉永さんは、福島の人々の詩を
「CDに」との思いを募らせていた。

 吉永さんはCD収録前の昨年末、帰還困難区域がある福島県葛尾(かつらお)村を訪れた。
今月、
東京都内で取材に応じた吉永さんは「一回行ってみないと本当の悲しみが分からないん
じゃないかと思って。想像以上のショックでした。自分たちの村がまるまる帰れないところに
なっている。もうすぐ4年なのに何も変わってない」と語り、心を痛めていた。

 新年度の政府予算についても「経済最優先になっていて、防衛費が増えたりしているけど、
福島の復興ということに対して、政治家の方たちはどう思ってらっしゃるのか、本当に福島が
前のような形で住めるところに、ふるさとに戻すつもりがあるのか、私には見えない」と述べた。

 さらに「今3・11の事故後に思うのは、これだけ小さな国で、地震がいっぱいある風土で、
原発というのはやめてほしい、と私は思いますね。人間が安全に暮らしていくためには、もっと
もっと私たちが工夫しなければいけないと思うんです」と強調した。

 広島、長崎、沖縄、福島の四つの「第二楽章」。朗読が生きがいと語る吉永さんは「次に何か
出さなきゃいけないようなことは起きないでほしい、これで終わりにしたい、という気がします」
とも語った。

 「第二楽章 福島への思い」で吉永さんが朗読する詩は23編。和合さんの詩や和合さんが
指導する「
詩の寺子屋」の子どもたちの作品など約300の最終候補から吉永さん自身が選んだ。

 朗読の音楽は尺八演奏家の藤原道山(どうざん)さん(42)に依頼。藤原さんは「音楽家
して何ができるかを考えていたときに声をかけて頂いた。今起きていること、苦しんでいる方々
が身近にいるんだということを決して忘れてほしくない、という思いを込めた」と話す。

 CDはJVCケンウッドビクターエンタテインメントから発売。挿絵はスタジオジブリ作品
の美術監督を務めた男鹿和雄さん。

 3月10日には東京・千駄ケ谷の津田ホールで「吉永小百合朗読会」を開く。CDつき5千円。
公演の問い合わせは日本伝統文化振興財団(03・3222・4155)、チケット予約は
0570・08・0089へ。(核と人類取材センター・副島英樹)

     注: 以上は上記の新聞(写真コピー)と同じ内容です

     ◇

 原爆詩の朗読を続けてきた俳優の吉永小百合さん(69)が今月、福島原発事故の被災者らの
詩を朗読したCD「第二楽章 福島への思い」の完成を前に
東京都内で取材に応じた。その場で
実際に朗読も披露しながら、CDに込めた思いを語った。吉永さんの発言は次の通り。

     ◇

 ■CD制作までのいきさつ

 2011年3月の東日本大震災の後から、福島に関する詩を原爆詩の朗読と一緒に読むように
なってきました。最初は6月に三宅一生さんから『東北の底力』という展示を
東京ミッドタウン
でやりたいんだけれども、その時に詩を朗読してもらいたいというご依頼がありました。

 一生さんは前から、原爆詩の朗読をしてほしいというご依頼をして下さっていたんですけれども、
そのご依頼の時に、「こういう詩があるんだけど、読めないでしょうか」と言って、
和合亮一さん
の2冊の本を私に託されました。その中から初めて和合さんの詩をミッドタウンで読んだんです。

 そしてその後に、佐藤紫華子さんという女性の方が自費出版された「原発難民」という詩を送
って頂いたり、子どもたちの詩を読む機会があったり、いろんな形で福島の詩と向き合ってきまし
た。そして読んでいるうちに、これをCDにできたらという思いが募りました。

 その時に、このCDはやっぱり日本で今起きている、まだ解決していない、大変な苦しい思いを
されている方たちの詩なので、日本の音楽をぜひご一緒にと思いました。それで(尺八演奏家の)
藤原道山さんにお願いして音楽を付けて頂いたんです。

 道山さんは日本コロムビアの所属でいらして、私はビクターで今回もこれを出すんですけど、
ほんとにそういうことってなかなかできないことなんですけれども、超ご多忙の中で、そういう
いろんなことを乗り越えて頂いて、素晴らしい曲を作って頂きました。たくさんの方にこの詩を、
このCDを聴いて頂いて、ずっとずっと私たちが福島の方たちに寄り添って、支えていかれる
ようなって、そんな思いがしております。

 ■朗読を実際に披露

 和合亮一さんの「詩ノ黙礼」の中の、和合さんがツイッターでずっと2011年の3月16日
からツイートしていらした詩の1編と、あともう一つは、「詩の礫(つぶて) 起承転転」の中
の「待っている」という詩と、2編を朗読させて頂きます。

 (藤原道山さんの尺八に合わせて吉永さんが朗読)

 そして、もう一つ聴いて頂きたいのがあるんですけど、和合亮一さんが指導されて震災の前から
子どもたちが「詩の
寺子屋」というものに参加されていました。そして震災の後、子どもたちの作
るものがすっかり変わってしまったということを和合さんからお聞きしているんですけれども、
今日、聴いて頂くのは二本松の小学校6年生、小原隆史君の福島という詩です。

 (朗読)

 小学生から高校生までたくさんの子どもたちが詩を書いていて、その中からCDでは5編を選ん
 で読みました。

 ■朗読詩の選択について

 最初に広島の詩を選ぶ時もたいへん苦労したんです。その時は600編ぐらいの詩の中から選ん
で、やっぱり、あまりに強いものは、CDを一回聴いてもう聴いて下さらなくなってしまうという
怖さがあって、少し、少し、そこまで強烈なものは入れないという風にしたんですけど、今回もそ
ういう点ではちょっと考えました。

 それでも、「詩の寺子屋」からの、「私に」っていう渡邉鮎花さんの高校生の詩があるんですけ
ど、けっこう強烈なんですよね。それで道山さんが曲を作るのにとても悩まれたということもあり
ますし、佐藤紫華子さんの原発難民という詩は、実際にご自身が富岡町で結婚して暮らしてらして、
そこからずっと日本海から
いわき市まで避難生活を送っている中で、やむにやまれぬ気持ちで書か
れた詩なんですね。

 だから、結構ダイレクトに表現されているし、強く読んだ方がいいか、それとももうちょっと柔
らかく読んだ方がいいか悩みながら、道山さんとご相談して、あまり強烈にはならないように読ん
だつもりなんですけれども、ただその、静かに読んでも思いがすごく伝わってくる詩だと思います。

 (福島は)もっとこうやっぱり、つらいですよね。だから本当につらいつらいという詩もあるん
ですけど、それだけになってしまうと、これからね、みんなが福島に戻れるといいという願いもあ
るし、そういう中で希望が見えるような作品を自分で選びました。

 ちょうど12月の末に、郡山から1時間ぐらいのところで、葛尾(かつらお)村っていう村があ
って、そこは何カ所か
帰還困難区域ということでゲートとかバリケードができているんですね。
そこへ自分も一回そういうとこに行ってみないと、本当の悲しみが分からないんじゃないかと思っ
て行ったんです。そしたらもう想像以上のショックを受けて、自分たちの村がまるまる帰れない
ところになっていて、でもその、近くではあるんですけど、
仮設住宅にみんな避難している。

 もうすぐ4年なのに、何にも変わってなくて、除染された土とかもビニールシートがかぶされた
まま放置されている。それがあらゆるところにあるんですね。

 だから、本当にそういう場所にいらっしゃる方の思いとか苦しみは、私が朗読してもなかなか
表現し足りないんですけど、こういうものを作ることで、少しでもみんなに忘れないでいようね
というメッセージが送れるかしらという気がしています。

 ■帰還困難区域への視察

 服は自分のコートだったんですけど、足とか、それからマスクして、手袋とか、そういうのは
お借りして着けて行きました。ほんとに、自分の住んでるところにそういう格好して入らなきゃ
いけないというのは、ちょっと考えられないですね。(ガイガーカウンターも)もちろん持って
いきました。
帰還困難区域の前に行くと、メーターが上がるんですね。

 ■子どもの詩について

 この少年(「福島」の詩を書いた小原隆史君)もほんとストレートに、小学校6年生ですから
ね、自分の思ったことをびしっと書いてますね。第二楽章の広島編の時に、やっぱり小学生が、

原子爆弾
が落ちると昼が夜になって人がお化けになる、というすごく短い詩を書いているんです
けど、それに近い感じがしました。

     ◇

 ■藤原道山さんとの共演

 最初に道山さんの演奏を聴いたのは映画「武士の一分」の音楽だった、すごく鮮烈な印象が
あって、その後、(ギタリストの)
村治佳織さんと道山さんが共演された舞台を何度か拝聴し
て紹介して頂いたんですね。それからコンサートにたびたび伺うようになって、道山さんオタ
クになって、家でもいっぱい聴いているんですけど。

 11月ぐらいですかね。私が郡山で朗読会したときに道山さんわざわざ聞きに来て下さって、
それからいろいろメールでキャッチボールしながら、曲を作って頂いたんですけれども。

 一番これらの詩に寄り添って頂けるのが道山さんの尺八だというふうに思ったんですね。人間
の呼吸する、しゃべるのと同じと今おっしゃいましたけど、舞台を拝見していても思ったし、
洋楽器と違うんですけどオールマイティーみたいな。道山さんがウィーンフィルのメンバーと
バッハとか演奏なさるのを聴いて全然違和感なくて、なんか不思議な楽器ですよね。

 ■朗読の音楽の演奏者たち

 村澤丈児さん(三弦・十七弦)は今も郡山に住んでいらっしゃるのね。遠藤千晶さん(箏)は
お母様が福島でお琴を教えていらっしゃるんですね。

 ■ジャケットの表紙になる男鹿和雄さんの絵について

 この風景は佐藤紫華子さんのふるさとというか、ずっと住んでらした原風景っていうか、こんな
ふるさとでしたということですね。いろんな案があって、あそこは桜がとても有名なんですね、桜
並木ですかね、その直前にバリケードがあって、入れなくなって、そういうものを表紙で使ったら
どうかという案もあったんですけど、ちょっと苦しい、つらすぎる、と思って、やっぱりきれいな
ふるさとをと思って、みんなで決めました。

 佐藤さんは樺太でお生まれになって、敗戦で引き揚げ船に乗って、お母様のふるさとの福島に
帰ってきて、その時にもう、つらい思いを味わっていて、また福島で結婚されて富岡町に住んで
いらっしゃったんだけど、今度の原発の事故でずっと転々と避難生活して、今は
いわき市におう
ちを建てて住んでらっしゃるんですれど、もう富岡には戻れないという思いで。

     ◇

 ■今年は戦後70年の節目

 (戦後70年ということの意識は)あまりないですね。70年とか、来年は震災5年ですね、
今回は
阪神・淡路大震災が20年ということでメディアもしっかり採り上げていきますけど、
4年というのはそんなにこうはっきりした年ではないから、私たちが忘れかけてるということ
もある。むしろそういう区切りの年じゃない時に、声を出していくということのほうが大事
しらと思ってるんですけど。

 そういう何年だからっていう思いはあんまりしてなくって、自分としてできることをして
いこうという、常にそういう姿勢でおります。

 ■風化を感じるところ

 私はほんとに細かいこと何にも知らないんですけれども、この間、予算とか決まったときのね、
経済最優先ってなってて、いろいろな予算、
防衛費が増えたりしているけど、福島の復興という
ことに対して、何かどういう風に政治家の方たちは思ってらっしゃるのか、お金だけ避難してい
る人たちにあげればそれでいいと思ってらっしゃるのか、本当に福島が前のような形で住める
ところに、ふるさとに戻すつもりがあるのかっていうのがちょっと私には見えないし、そういう
ことを感じてる方もきっといらっしゃると思うんだけど、またその半面、次から次にいろんな
大変なことが起きてますよね、世界でもね、だからやっぱりそっちの方に目を向けていれば
忘れてしまう。

 ■福島原発事故について

 まったくこう、私たちが想定してないことだったわけですよね。津波も、チリとか奥尻島とか、
そういう部分的な津波は映像で見て知っていたのに、これだけのものが起きるというふうに考え
もしなかったですし、原子力発電所安全神話というのがあって、こんな状況になるなんて、今回、
恥ずかしいことですけど初めて知ったことなんですね。まだまだ原発の現場だけじゃなくって、
上の方の岩手、宮城の方も厳しい状況というのがあると思うんですね。

 岩手は宮古の方に行きましたし、宮城は南三陸の方にも行ったんですけれども、それは1年とか、
1年半ぐらい前だから、今行ってどうなっているのかっていうのはとても心配だし、少しでもね、
良い状況になっていればと思うんですけど、私たちは道三さんのように音楽があればそこで演奏
するということができるけど、映画の俳優っていうのはそういう形ではみなさんとは向き合えない
から、せめて思いをCDとか、表現者としてこういうものに託して、まだ復興が遅れているところ
の人たちに届けたい
という気持ちです。

 ■原爆と原発について

 これだけ地震が多い国で、こんなにたくさん原発があることを私たちが知らなかったし、安全
神話
もあったし、原子力の平和利用ということが
被爆者の方たちもあれだけひどい原子爆弾だか
ら平和に利用したら逆に素晴らしいものになるという思いでいらしたという記事を読んだことが
あるんですけど、今、3・11の事故の後に思うのは、やっぱりこれだけの小さな国で、地震が
いっぱいある風土で、原発というのはやめてほしい、と私は思いますね。やっぱり人間が安全に
暮らしていくためには、いろんな方法はあるんですけど、自分たちでもっともっと私たちが工夫
しなきゃいけないと思うんです
ね、電力に関しても、昔に返って、それはできると私は思うんで
すけど。

     ◇

 ■今年撮影に入る原爆映画「母と暮らせば」とのつながり

 (東日本大震災では)たくさんの方がご家族を亡くされてね、そして「帰ってきた」っていう
ときがあるらしいんですね。特に津波で行方不明になった方とか、そういう方が戻って来たって、
ある一瞬とか。「母と暮らせば」も同じように、ずっと息子が行方不明になって待っていて、
3年経ってもうあきらめたと思ったら、「母さんがあきらめたから戻ってきたんだよ」って言
って、息子が来てくれたっていう。

 今準備しているんですけど、4月の後半ぐらいから撮影に入って、8月の初めぐらいまでです
ね。だからその間は朗読はできないんですけど、またやりたいと思っています。

 ■朗読という表現について

 劇だと、もうちょっとダイレクトになると思うんですよね。抑えられない、実際に苦しいったら
苦しい表情をしなきゃならないけど、朗読は苦しいけど、でも普通に苦しいって言って、その言葉
の奥にあるものを読み取ってもらうことができるかもしれない
んですね。

 ■CDにすること

 やっぱりたくさんの方に聴いて頂けるんですよ、CDはね。こういう形でCDをね、また「第二
楽章」の続きとして
ビクターが出して下さるということはとてもうれしいことで、まだ今起きてるね、
解決していないことですから、それを忘れないでいようというか、実際にあったんだということを、
しっかりと私たちがいつまでも知っててというか、覚えていなければいけないことだと思っています。

 ■「第二楽章」の位置づけ

 もう仕事とは全然違う、自分の生きがいみたいなものですよね。ずっと大事にしていきたい、でも
もう、「第二楽章」4編で次には何か出さなきゃいけないようなことは起こらないでほしい、これで
終わりにしたいという気がします
けどね。

 悲しいって言うよりは、語り部ですから、実際に経験のない語り部で、記録として残すというよう
なものですよね。今回のが一番強い体験、地震も含めて、東京で地震を感じて、いろんなところに行
って、被害を見て、人と会ってっていうことでは一番強いかもしれませんね。

 ほんとはこれは第二楽章じゃなくて、まだ第一楽章かもしれないと思うんですよね。第二楽章と
いうのは、最初97年に広島編を作ったときに、もう広島は復興して、でもみんな忘れちゃってると、
それを忘れないためにも残すことがいいのではないかということで、本当に穏やかに語るということで、
第二楽章というタイトルにしたんですね。

 広島だけでは、広島と長崎の詩の内容というか思いが違うので、次に長崎作って、6年ぐらい経っ
たときに、どうしても自分の中で沖縄っていうのは心にひっかかっていて、沖縄作って、今回も長い
年月経って3枚で終わったと思ってたんですけど、CDにしたいっていう、だから第二楽章という
よりは今これから第一楽章が始まるってことかもしれないんですけど、4枚目ということで。

 ■吉永さんがつくってきたTシャツについて

 最初は「がんばろう東日本」ですよね、次が「思いを込めて」ですかね、その次が「いつまでも
つなぐ」
。それで今が「寄り添っていつまでも」。去年の3月11日に、天皇陛下が寄り添って
いきましょうっていうふうにおっしゃったんですよね。慰霊の行事の時に。その寄り添うという
言葉がすごく胸に残って、Tシャツに使わせて頂いたんですけれど。最初はね、釜石の
ラグビー
のチームがね、全部流されて、じゃ作りますよと言ってね、ウィンドブレーカーとかそういうの
「がんばろう釜石」って作って、練習する子どもたちにも作ってね。

 ■自分の意見を出していく

 この年齢になったらずうずうしくなって、少し言えるようになってきているということかもしれ
ないですね。前はやっぱり言えなかったし。(危機感があるのか)そうですね。言いづらい世の中
になってきている
んですよね。でも、自分で思うことは発言しなければならないというふうに、今、
感じています。

     ◇

 「第二楽章 福島への思い」で音楽を担当した尺八演奏家の藤原道山さん(42)は、吉永小百合
さんと同席し、CDへの思いを次のように語った。

 吉永さんから声をかけて頂いたのは、音楽家としてこれからできることは何かってことを常々考え
ていたときでしたので、何かお手伝いができたらなあということで、ぜひぜひ心からやりたいという
思いで、関わらせていただきました。自分たちが経験した3月11日、東京に私はおりましたけど、
それでもすごく揺れてライフラインもいろいろなことがありました。たまたま地震があった翌々日に
富山の方でコンサートがあったので、すぐさまそこで募金活動をさせていただいたんですけど、親戚
が福島におりまして、それこそ避難所生活をしている人たちを身近に感じ、何ができるんだろうと
常に考えていました。

 これまで吉永さんは広島、長崎、そして沖縄といった戦争や原爆に対する朗読をされてこられて、
それがもしかしたら年を追うごとにどんどん薄れていくんじゃないのかな、僕の頃は確かに小学校の
ころそういった教育を受けて育ってきましたけど、今の子たちは果たしてどうなんだろう、とも思い
ました。

 こういう地震があって、いま現実に起こっている、そしてまた苦しんでいる方々が身近にいること
をやっぱり忘れてはいけない
、そんな思いも込めて今回、吉永さんの朗読に寄り添う形で音楽活動が
できたことは、
音楽家として、被災された方に対して何かできたんじゃないかという思いはあります。
これから絶対に忘れてほしくないという意味で、CDという形になって、これが残っていってほしい
と切に願っています。

   ◇   ◇

 「福島」小原隆史

 今も原発という戦車は

 放射能という弾をうち

 人々の心をうちぬく

 もがいても もがいても弾は来る

 休むことなくうってくる

 だけど

 僕はくじけない あきらめない みすてない

 福島は負けない

 ぜったいに負けない

 原発をおさめてこそ

 ほんとうの平和を知り

 見えないものも見えてくる

 なき顔だった僕たちも

 笑顔になる

 みんなが笑顔になってくる

 そんな福島になる

 きっと

 「詩の寺子屋」から

   ◇   ◇

「雨よ やさしく」和合亮一

 雨よ どうか

 やさしく

 降っておくれ

 私たちは

 あまりに

 辛くて

 悲しい

 雨よ あなたを

 恐れている

 だけど あなたを

 福島を

 こんなにも

 愛している

 雨よ どうか

 「詩の邂逅」から
    邂逅(かいこう):思いがけない出会い/めぐりあい



   ◇   ◇

「過去というタンス」佐藤紫華子

 今まで着ていた キモノも服も

 どこへやったの

 あゝあれはネ

 過去というタンスの中にしまって

 置いて来たの

 泣くだけ泣いて

 吐くだけ吐いたら

 もう何もない

 思い出も みれんも――

 これからは 新しい自分を見つけ

 新しい未来を探しに

 両手をあげ

 深呼吸して 飛び立つの

“命”という翼にのって

 「原発難民の詩」から


B.福島民友ニュース

吉永小百合さん朗読 福島への思いCDに、3・11リリース

  福島民友新聞(デジタル版)   最終更新:1月27日(火)11時16分配信


          
    尺八奏者の藤原さんとレコーディングする吉永さん(右)

戦争や原爆の過ちを繰り返さないための朗読活動をライフワークとして続けている女優の吉永
小百合
さんは、東日本大震災で被害を受けた本県の人々への思いを込めた朗読CD「第二楽章 
福島への思い
」を発生から4年となる3月11日にリリースする。福島市の詩人和合亮一さんの
詩など23編を朗読、尺八奏者の藤原道山さんが朗読に合わせた曲を書き下ろした。吉永さんは
「忘れない、風化させない、なかったことにしないために、私は彼らの詩を読みます」
被災者に寄り添うメッセージを寄せた。
 吉永さんが朗読CDを出すのは9年ぶり。和合さんのほか富岡町からいわき市に避難している
佐藤紫華子(しげこ)さんの詩や和合さんが総合監修している「詩の寺子屋」の子どもたちの
詩を収録。詩のほかに「新相馬節」などの民謡や郡山五中の合唱も収めた。福島市出身の箏曲
演奏者遠藤千晶さんも演奏に参加している。
 CDの印税を全て被災者のため寄付することを決めた吉永さんは「今も故郷に戻れない福島
の方たちの思いを私たちみんなで受け止め、寄り添うことができたら」
と話している。
価格は3024円(税込み)。発売前日の10日は、東京の津田ホールで朗読会も開く。
 問い合わせはビクターエンタテインメント(電話0570・010・115)、朗読会については
日本伝統文化振興財団(電話03・3222・4155)へ。

C.被爆の痛み、未来へつなぐ 吉永小百合さん、命の朗読

        聞き手・岡本玄、核と人類取材センター・副島英樹

   朝日新聞デジタル版  2014860116
 


     http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20140805005179_comm.jpg
              吉永小百合さんと広島、長崎、福島
















「原爆詩」の朗読後、平和記念公園の「原爆の子の像」に捧げられた折り鶴を見つめる吉永小百合さん=1998年6月、 
広島市、山本和生撮影


広島と長崎に原爆が落とされた年に生まれ、「核」を手放せない戦後とともに歩んできた。俳優の吉永
小百合
さん(69)。被爆地や原発事故で苦しむ福島への思いが詩の朗読を通して伝わり、共有して
ほしいと願う。核とどう向き合えばいいのか。インタビューでは「命を守る」という視点の大切さを訴えた。


   「どんな状況でも核兵器にノーを」
       
     【特集】核といのちを考える


思いを受け止め、伝えたい

 ――詩の朗読で自ら選んだ一つが、「にんげんをかえせ」で知られる詩人峠三吉「原爆詩集 序」
 でした。

 「どんな朗読会でも最初に読む、まさに『序』なんです。峠さんのすべての思いが詰まっています。
まったく原爆のことを知らない方でも、『えっ』という思いになってくださる気がするので、日本語と
英語で読むようにしているんです」

 「本当のことを言えば、もっと強い表現の詩がたくさんあります。ただ、それを直接読んでしまうと、
最初から『そういうものは聞きたくない』っていう方の拒否反応があると思うんです。最初に分かり
やすく、やさしく読んで、『あぁ、こういう詩があったんだ。じゃあ違う詩も読んでみよう』と思って
くだされば一番いい。そういう詩を中心に読んできました」

 ――朗読の手応えは。

 「私の力は小さくて、大きくならないんですけど、例えば朗読を聴いた学校の先生たちが子どもたち
に教えてくださり、その時の生徒が今、先生になって、ご自身が子どもたちに教えてくださっている。
そういうことが大事なんですね。受け止めてくださった方が、また次に伝える。それが
被爆者の方たち
の一番の願い
だと思うし、ご年齢的にもなかなか、先頭に立って動けない場合もあるから、私たちが
その思いを受け止めて伝えていかないと」

 「そうすると、全然そういうことを知らない、知ろうともしない人たちにどうやって分かって頂くか
が一番の問題でしょうね。スティーブン・オカザキという日系アメリカ人の監督がドキュメンタリーの
冒頭で渋谷の女子学生にインタビューして、『1945年8月6日に何が起きたか知ってる』って聞い
たら、『えー、知らない、地震?』って。鳥肌が立つほど悲しかったんですよね。そんなことが日本で
あってはいけない。みんながあのときの痛みを分かろうとしないといけないと思います


「第二楽章」に込めた意味

 ――被爆した広島と長崎へ向けて、原爆詩の朗読CD「第二楽章」(97年)をつくりました。
第二楽章に込めた意味は。


 「CDをつくる時、『戦後50年たった今は第一楽章ではなく、第二楽章に入っている』と。語り継いで
いかないといけないけど、声高でもいけない。第二楽章はアダージョっていうか、ゆったりした楽曲が
多いですよね。それで決めたタイトルなんですね。それがずっと今につながってるんです。結局、ぱー
っと強く言っても、そこで終わっちゃう。柔らかい口調で、人の心に少しでも染み込んでいくものをつくり
たい、という思いでした」


 ――(第二楽章をつくった翌年の)98年にアサヒグラフの特集で広島を訪れました。その当時、
原発の意識はあったのですか。


 「今ほど強い思いを持っていたわけではないと思うんですね。ただ86年に(旧ソ連の)チェルノブイリ
の原発事故があり、その1週間後にドキュメンタリーの仕事でウィーンに行きました。そのとき、ジャガ
イモやホウレン草は一切食べてはいけないと。1千キロ離れているのに危険なんだと驚きましたが、
強い懸念も持たなかった。3・11まで、そこまでしっかり考えていなかったと思います」


 ――原発事故が起きた福島のことも、詩を通して発信するのですか。


 「3・11の後、たくさんの作品が福島で生まれました。和合亮一さんという高校の先生の詩や、
子どもたちもきちっとした詩を書いていますし。それを読み続けていくつもりです」


 「できれば『第二楽章』を広島、長崎、沖縄に続いて、近い将来、福島のものもつくりたい。
いろいろと困難なこともあるんですけれど、やりたいと思っています。『第二楽章・福島』とか
『福島から』とか、自分の頭の中では考えています」


電力よりも命が大事


 ――今年の東京都知事選で、脱原発を訴えた細川護熙元首相を応援するメッセージを出しました。


 「日本の原発の事故を見て、ドイツでは原発をやめましょうと決めているわけです。でも、日本はそう
じゃない。やめたいと思っている方はたくさんいると思うんですけど、声を出す人は少ないんですよね。
だからやっぱり、自分が思ったことは声に出したい、意思を伝えたいと考えました。仕事をしていくうえ
でネックになることはこれからあると思いますけど、人間の命のほうが電力よりも大事じゃないか、とい
う根本だけは忘れたくありません」


 ――影響を受けた人は。


 「坂本龍一さんです。事故の前から原発の危険性を話されていました。ご一緒した英オックスフォード
の朗読会(2011年10月)
でも、『核と人間は共存できない』と英語でスピーチなさって、感動しました」
「病気になられて(坂本さんは先月、中咽頭(いんとう)がんの治療のため年内の活動休止を発表)、
しばらくそういう活動ができないということです。お元気になるまで、坂本さんの分までしっかりやりたい」


 ――10月公開の主演作「ふしぎな岬の物語」に込めた思いは。


 「映画のテーマは、生きることと愛すること命を受け継ぎ、リレーしていく形でシナリオができたと
思います。戦争の時にそういうことってたくさんあったでしょうし、私たちにとって身近なことは、3・11
だと思うんですね」


 「(私自身も)父親が戦争に行き、たまたま病気になって船を下ろされ、帰ってきたから、私が生まれ
たんです。もし戦争に行っていれば戦死していたと思うし、私という人間はこの世に存在しなかった。
生まれてきたことへの感謝をいつも持っていないといけないと思いますね」


 ――読者へ伝えたいことはありますか。


 「機会があったら、広島や長崎に行き、資料館をみていただきたい。そこから何かを感じ取ってほし
いと思いますね。被爆60年の時でしたか、仕事で行ったパリの市庁舎で広島展をやっていました。
出口で鶴を折るコーナーがあり、フランスの子どもが不器用だけど一生懸命折っていました。『私たち、
忘れないでいようね』という思いが核兵器の廃絶につながってほしい」
                            (聞き手・岡本玄、核と人類取材センター・副島英樹)


〈取材を終えて〉正面から答えた覚悟


 吉永さんに取材を申し込んだのは、6月の連載「核といのちを考える~被爆国から2014」の
シリーズだった。10月に迫った新作映画「ふしぎな岬の物語」(東映)の公開で多忙を極める中、
ずっと時間をとってくれようとしていた。シリーズには間に合わなかったが、東京都内で7月、
インタビューが実現した。


 吉永さんは約1時間、メモを見ることもなく、こちらのすべての質問に正面から答えた。
ある種の覚悟を感じた。


 その頃、吉永さんは一冊の本を編んだ。「ヒロシマの風 伝えたい、原爆のこと」(角川つばさ文庫)。
子どもたちへの語りを途切れさせてはいけない――との強い思いからだ。


 今年も鎮魂の夏が巡ってきた。今の思いを色紙に書いてほしいと依頼した。そこには、
「いつまでも 語り継ぐ」と書いてあった。

 (岡本玄、副島英樹 写真は山本和生)

    ご関心のある方は下記のYouTube動画をどうぞごらんください!   

       「吉永小百合さん原爆詩朗読 ピアノ坂本龍一さん」

       https://www.youtube.com/watch?v=lEalWrdso8w

     イギリスで吉永小百合さんが原爆詩の朗読会 。坂本龍一さんがピアノ伴奏

     オックスフォード大学にて。2011.10.29にアップロード
 YouTube 7:05


D.どんな状況でも核兵器にノーを
 
原爆詩、朗読続ける吉永小百合さん きょう広島原爆69年

 朝日新聞デジタル  2014860500

      吉永小百合さん


 広島への原爆投下から6日で69年。原爆詩の朗読を続ける俳優の吉永小百合さん(69)が、
朝日新聞のインタビューに応じた。終戦の年と同じ1945年に生まれた吉永さんの人生は、広島、
長崎への原爆投下で幕を開けた「核の時代」と日本の戦後の歩みに重なる。吉永さんは「日本人
だけはずっと、未来永劫(えいごう)、核に対してアレルギーを持ってほしい」
と求めた。

 唯一の戦争被爆国・日本はいま、核兵器廃絶を唱える一方で米国の「核の傘」に頼るジレンマ
を抱える。吉永さんは
「どういう形にせよ、核の傘に入っているにせよ、あれだけひどい広島、長崎の
原爆被害があったんだから、それをみんなしっかり勉強して、どんな状況でも核兵器はノーと言ってほしい」
と述べた。

 2011年3月の東京電力福島第一原発事故で、日本は「核と人類は共存できるか」という課題
とも向き合う。吉永さんは「本当の核の威力というものが私にはまだ分かっていない」としつつ、
こう語った。「でも、原子力の発電というのは、特に日本ではやめなくてはいけない。これだけ
地震の多い国で、まったく安全ではない造り方、管理の仕方をしているわけですから。
どうやって
廃炉にしていくかを考えないと



 原発の再稼働や輸出の動きがあることには「『さよなら原発』と私は声を出していきたい。
みんなの命を守るために、今、せっかく原発が止まっているのだから、今やめましょうと」。
そして「まだ毎日、
汚染水など現場で苦しい思いの中で作業していらっしゃる方がたくさんいる。
そういう中で、外国に原発を売るというのは、とても考えられないことです」と述べた。

 被爆・戦後69年となる今年、日本では戦争放棄をうたう憲法9条解釈が変えられ、自衛隊
が他国を守るために海外で戦う集団的自衛権行使容認閣議決定された。吉永さんは「今の流
れはとても怖い。大変なことになりそうな気がしているんです」と懸念を示しながら続けた。
「政治が悪いから、と言っている段階ではない気がします。一人一人の権利を大事にし、しっかり
考え、自分はどう思うかを語らなければいけない


 核のない世界をめざし、吉永さんは原爆詩の朗読CD「第二楽章」の広島版と長崎版を作って
きた。「私は俳優だから、詩を読むことが一番伝わる」と述べ、「次は福島の第二楽章を作りた
い」と語った。

 (岡本玄、副島英樹 写真は山本和生)


     *

 よしなが・さゆり 1945年3月、東京生まれ。映画「愛と死の記録」(66年)で被爆の
現実を知る。胎内被爆した主人公を演じた「
夢千代日記」(テレビは81~84年、映画は85年)
を機に原爆詩の朗読を続けてきた。最新作は10月公開の「ふしぎな岬の物語」(東映)。




【後記】吉永小百合さんについて、二つの思い出があります。

 (1)1966年(昭和41年)4月、加古川市にある県立高校での歓送迎会の席でのことです。隣に座ったN先生
     が転任してきた私に自己紹介しました。「『愛と死をみつめて』という映画を知っていますか。あの大島みち子
    (ミコ)は私の従妹ですよ」と。もちろん、私は本も読んでいたし、下手ながら「マコとミコ」の歌はその頃、口
    ずさんでいました。吉永小百合さんの歌声でもよく聞きました。私と同年齢で同学年でもあるN先生とは、
    その後、十数年間、同僚として大変親しく思い出多い教師生活を共に過ごさせていただきました。

 (2)上記(1)のことがあって、数年後のことです。宍粟市の実家の話によると、吉永小百合さんが、実家近くの
    親戚宅の奥さん(T子さん)を訪ねてきたというのです。実は、吉永さんの祖母が市内のお寺の生まれで、
    その日は祖母の法事が営まれたのです。昔、吉永家でお手伝いさんをしていたT子さんが幼少期の小百
    合さんの世話をし、 その頃、小百合さんはよく可愛がってもらったので、そのお礼を言うためにわざわざお
    忍びで訪ねてきたというのです。
    “サユリスト世代”である私は、その後、実家に帰ったときに、「小百合さんがこの道を歩いたのだ!」と想像
    しながら心がほのぼのと温かくなるのを感じて、しばし、“サユリロード”を見つめたのでした。        
                                                    (2015.02.15 Umichan記)



   ※ ご関心のある方はどうぞ、以下の動画をごらんください!

  映画愛と死を見つめて(1964)予告編 吉永小百合」 YouTube 4:11

     https://www.youtube.com/watch?v=IQXaKhnl7Ok


  「愛と死を見つめて ♪ 青山和子 (1974)」 YouTube 4:25  

   https://www.youtube.com/watch?v=KlYJ3xXDnZY&list=RDKlYJ3xXDnZY#t=0



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